・武家屋敷について

 出水市の麓町を中心とした住宅地一帯は,平成7年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
 出水麓は,出水郷に赴任する薩摩藩士の住宅兼陣地として,中世山城である出水城の麓の丘陵地帯を整地して作られたところです。その整地には,関ケ原の戦いの前年(1599年),本田正親が初代地頭に着任してから,3代地頭の山田昌巖の治世下まで,約30年かかりました。出水麓は,薩摩藩内で最も規模が大きく,藩内のほかの麓は,出水に倣ったといわれています。
 出水は,肥後(現在の熊本県)と薩摩の国境の町として,藩の防衛上重要な町であることと,一国一城制度下の薩摩藩の外城制度(島津氏による,藩体制強化のための政治制度)により,出水には数多くの薩摩藩士を郷士として住み着かせ,藩境の防衛の任に当たらせました。武家屋敷とそのまち並みは,当時からの薩摩藩士の気風を今に伝えるかのように,整然とした趣と閑静な佇まいを感じさせます。
 国の重要伝統的建造物保存地区に選ばれたこの地区は,面積約44ヘクタールの広さを有し,出水市指定文化財である,出水假屋門・武家門・石垣・生垣や竹添屋敷など4軒の建築物があるほか,伝統的建造物として特定された建造物などがほぼ昔の姿で残っており,当時の面影を今に伝えています。

・麓武家屋敷群

 江戸時代,薩摩藩は,鶴丸城を本城とし,領内各地に外城(とじょう)と呼ばれる行政区画を設け統治にあたっていた。
 また,外城における統治の中心地を麓(ふもと)と呼んだ。
 当時の出水外城の麓は平良川左岸の「向江」と現在「重要伝統的建造物群保存地区」になっている「高屋敷」の両武家地,そして間に挟まれた町人地「本町・中町・紺屋町」からなっていた。
 「出水市麓伝統的建造物群保存地区」は市のほぼ中央に位置し,約400年前から30年程の歳月をかけて城山から米之津川に続く起伏の多い丘を整地し,道路を掘り,川石で石垣を築いて作られたと伝えられている。
 現在でも,建設当時から改変されることの少なかった街路,その両端に築かれた石垣や生垣,庭の木々が武家門や垣間見える武家屋敷とあいまって,落ち着いた街路景観を醸し出している。