池城安松会長の武道関係略歴     

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[2010/07/09更新]



大正12年(1923年)、沖縄県那覇市に生まれる。

10歳の頃から、比嘉世幸先生に剛柔流を習う。

昭和22年(1947年)頃、唐手の和道流の稽古に打ち込む。

昭和27年(1952年)頃より、鹿児島市で行われる各流派の演武会に出演し、斯道の発展に尽力する。

昭和30年(1955年)より、鹿児島県立出水高校空手部を指導する。

昭和31年(1956年)少林寺流に入門して修錬に励む。

空手道、琉球古武道武器術のほか、 銃剣道、居合道、薙刀、八光流柔術、杖術など各種武術を修錬する。

昭和39年(1964年)鹿児島県伊集院町の「拳士の塔」建立時の慰霊祭で棒術を演武する。

昭和40年(1965年)第1回鹿児島県古武道大会に棒術で出場する。

昭和41年(1966年)少林寺流6段教士の允許を受ける。

昭和42年(1967年)鹿児島県出水市に沖縄拳法空手道場「揆奮館 」を設立し、各流派の長所を取り入れた

指導を始める。

昭和43年 薙刀2段、昭和48年 銃剣道6段、昭和49年 居合道5段 等の允許を受ける。

出水高校のほか、出水製紙、出水機関区、出水市役所など各職場の空手部の指導もする。

出水高校空手部の全国高体連空手道部への加入に伴い、全空連(全日本空手道連盟)空手の研究と指導を

始める。

出水市栄町にあった出水武道館、および出水市立出水商業高校などにおいて指導を行う。

平成3年(1991年)出水武道館の撤去、出水市総合武道館の新設に伴い、活動の本拠地を出水市総合武道館

とする。

揆奮館の指導主体をその実用的見地から、空手から棒術に変える。

揆奮館の棒術技法をさらに発展させるため、竹生島流、兵法二天一流、本體楊心流など日本古武道の

棒術技法を研究する。

日本古武道協会本體楊心流武術および日本戸山流居合道連盟戸山流居合道に入門し、修錬に励む。

本體楊心流棒術7段、戸山流居合道5段の允許を受ける。

平成12年(2000年)、揆奮館の棒術を「揆奮館流棒術」として体系化し、これに棒術以外の揆奮館の武術

を含めて、生涯武道としての総合武術「揆奮館流武術」を確立する。

全沖縄拳法空手道連盟揆奮館総本部会長、揆奮館流武術総本部会長として、出水市総合武道館を拠点にして

「揆奮館流棒術 」を主体に、総合武術「揆奮館流武術」の一子相伝的な指導により 、総合武道塾「揆奮館」

の少数精鋭の士の育成に尽力する。

平成22年(2010年)5月20日、午前3時57分、享年88歳で逝去。


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