揆奮館きふんかんについて

[2006/03/26更新、2013/07/28追加修正]                             トップページへ戻る



 揆奮館は、昭和42年(1967年)、池城安松会長により鹿児島県出水市 を本拠地として設立

され以後活動を続けている武道塾です。

 当初は主に空手道場として活動していましたが、近年は棒術を主体として空手道、居合道、柔術

等その他各種武器術等を修練する総合武道塾として活動しています。

 空手道については、出水高校、出水商業高校、出水武道館、出水市総合武道館等で指導を行い、

多くの門下生を輩出してきました。当初は、防具付系の空手の修練をしていましたが、その後、

全空連系空手を基に沖縄伝統系空手、直接打撃系空手、そのほか中国武術やテコンドーなど打撃系

武術の技法を研究しながら修練を続けています。最近は武道スポーツ化した競技空手より、本来の

目的である護身術としての空手を追求し、生涯武道として生涯において修練できる空手道を研究

しています。

 空手を補足する護身術としての棒術等各種武器術は、人体をどのように鍛錬してもけっして武器

に勝ることはないことから、現代においても大変実用的ですので、近年、特に棒術を主体として

その修練をしています。

 揆奮館 流棒術は 、揆奮館で研究し調整した『徳嶺とくみねこん』(※ウチナーグチ風の言い方では、

トクミネヌクン) の技法を基に琉球古武道、日本古武道、中 国武術等の技法の研究を常に続けており、

近年は修練をより効率的にするために体系化を進めています。

 当道場の名称『揆奮館きふんかん』は、 1629年に薩摩藩出水郷の第三代地頭として着任した山田民部

有榮入道昌巖が出水兵児の鋭意士風の作興に努め、教化淵源の地を出水麓に卜して建てた学舎の

名称でしたが、その後、世故の変動と共に廃止されていたこの学舎を、肱黒友直らが郷校として

再興して、1861〜1871年に出水麓にあったこの郷校(※この跡地は、出水市立出水小学校に

なっています。) の名称として使われました。その後、昭和5年に設立された旧制出水中学校創立

十周年記念館の名称や県立出水高等学校(元、旧制出水中学校)の図書室や武道場等の名称にも

使われており、当道場設立時、池城安松会長が出水高校空手部を指導していたことから、その由緒

に因み当道場の名称に使用しています。

 揆奮館の館名は、書経しょきょうの中の夏書禹貢の『五百里綏服、三百里揆文教、 二百里奮武衛』から出た

もので、文教ぶんきょうはかり、武衛ぶえいふるう、すなわち文武両道ぶんぶりょうどう精進しょうじんするという意味で使われており、

近世以降の武士の理想とする文武兼備のための修養に通じるところがあります。 しゅ

精神をもって常に心技体しんぎたいの向上をめざしている当道場もこれを理念りねんとして 修錬を続けています。



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