琉球古武道武器術            [2003/07/21更新]


※参照(抜粋)「琉球王朝時代古武道唐手道-解説」


1 棒術(昆法とも云う)

 棒術は、古くから、(琉球王朝時代の)役人(今の警察官)の使用したものとされて

いるが、『沖縄語辞典』によると、棒とは、『荷物をかつぐ棒、武術用の棒』と

あり、一般の町人や漁民、農民の生活必需品でもあり、自己防衛の為に、研究さ

れ優れた技法が多く伝わっている。また、中国武術と共に伝わった技法も多くあ

る。歴史的にみると、今から約600年前に、中国福州の冊封使が琉球入りした際

に、沖縄の人に棒術を伝えたと推定されていて、沖縄の人が中国南方・上海等に

渡り、それらの地域の棒術等を学び、沖縄に帰り研究したことも考えられている。

また、中国の最古の兵法書『武備志』や『紀効親書』等にみられる棒術は、その

技法から現在、沖縄で修行されている棒術に類似している点が多い。武備志に収

録してある『小林昆法』の中に『すべての武術は昆法を宗とし、昆法は、小林を

宗となす』と書いてあり、紀効親書の中には、『棒を用いるは、四書を読むがご

とく、鈎刀鎗を各各一経として習うがごとし、四書に明るければ、六経の理また

明るし、棒は即ち各利器の法に従ってこれを得るなり』と書いてある。つまり、

棒術は諸有器武術の根源であり、基本であるといっている。沖縄の棒術は、中国

の棒術と沖縄古来の棒術が合体し、沖縄の人の体形と、沖縄の地形と環境の変化

のもとで発達してきたものである。そして、沖縄の侍が行う武術の型には、何々

之昆とあり、これは、その時代の王に献上し『昆』と言う文字を使い『村棒』と

区別したものである。次に、棒の素材であるが、初めは、亜熱帯の沖縄に産する、

堅くて弾力性のある『クバ』を使っていた。これは、クバという硬木の外、つま

り芯の木目が波形に走っており(樫材にもみられる)実戦に際して安易に折れたり

曲がったりせず、万一戦闘中に折れる様なことがあっても折れ口が鋭利な角度に

なるので其のまま武器として使用できる強味を持ち、棒材としては、理想的な要

素を十分備えていたのである。しかし、現在に至っては、通常『赤樫』『白樫』

等が使用されている。一般に長さが六尺なので、六尺棒と称している。しかし、

昔、琉球王朝の首里王城に仕えた武士階級の人々が持っていた棒の長さは、五尺

八寸であった。当時の家屋の鴨居の高さが五尺八寸だったので、屋内での使用に

不覚を取らないために短くしたものである。棒の種類には、六尺棒(長尺)、三尺

棒、四尺棒(短尺で尺杖とも云う)に分けられるが、変形として八尺棒、九尺棒、

十三尺棒(馬上棒とも云われているもの)等がある。

  代表的な型名一覧

※『徳嶺之昆』(徳嶺之棒)

 この型は、徳嶺親方(沖縄の首里系統の武道家。「親方」は琉球王府の大名の

位)が編みだした型で、後に、喜屋武朝徳が得意とした型である。

※「小林昆法」←「少林棍法」、「昆」←「棍」、「紀効親書」←「紀効新書」、原文のまま抜粋した。

2 釵(サイ)術

 サイは、中国との交通が盛んだった頃、中国の武官が伝えた武器で、その形は、

人体を型どっており、昔の筑、佐事(いずれも官職名)という警察官と裁判官を兼

ねた役人が、これを携行していた。そして、王様の警護や群衆の整理、又は、犯

人を捕まえる為に使用したもので、日本の十手に似ているが、沖縄のサイは、二

本あるいは、三本一組で使用する。サイは、両手に持って操作し『守』と『攻』

に力を発揮する。また、逃げる犯人には、投げて刺すこともある。サイという文

時は、金偏に叉と書くが、釵は、『かんざし』を意味する言葉である。サイは、

中国の兵法書『武備志』の中にも出ており、沖縄では、久米村の「三六九並諸芸

番組」に出てくる『鉄尺』であり、中国では、サイのことを鉄尺と言っていた時

代がある。鉄尺【手尺、(テイシャク)】とは、手の尺と云う意味である。

  代表的な型名一覧 

※「三六九並諸芸番組」←「三十六姓九並諸芸番組」、原文のまま抜粋した。 

3 柱拐(トンクワァ)術、トンファー

 柱拐は、中国福州方面で行われていた武術で、福州の方言で、『トンクワァ』

と言う。この武器は、臼の柄ヘラからヒントを得て、編みだされたもので、『守』

が主の武器で、両手で持ち、刀や槍や棒で攻撃されても、トンクワァで受けられ

ると手が痺れて武器が落ちてしまうほどである。攻撃にも、手首のひねりですご

い威力を発揮する。

 

4 双節昆(ヌンチャク)

 ヌンチャクは、今から約400年前、薩摩の琉球征伐後に女性が自分の身を守る

為に、創案されたと伝えられている。バショウの皮をはぐ器具(クーラ)からヒン

トを得て作られたものである。しかし、中国福州の方言で、二節昆、両節昆など

と書いて、『ヌンチエクン』と発音している。その技法は、かなり古くからあり、

哨子昆や三節昆などの使用法とよく似ており、中国福州の武器の影響が大きいの

である。ヌンチャクは、肘の長さ程の樫の棒を二本の強い紐で結んであるので、

一名『双節昆』と称している。この武器は、護身術や隠し武器として発達したも

ので、これとよく似た武器が現在もなお朝鮮付近や東南アジア方面で、ゲリラ戦

等で使用されている。

 

5 三節昆(小林三節昆とも云う)

 三節昆は、中国の三国志などにも出てくる歴史的に古い武器である。正式には、

中国小林寺三節昆と言い、一本の棒の長さが約70センチ程で、これが三本連鎖し

ており、棒等の武器よりは、遥かに長い武器である所に長所がある。その操作も

手で振るものと、棒の如く、一直線にするものがあり、身体全体で攻防を展開す

る武術である。この三節昆は、双節昆や哨子昆などと兄弟で中国で発達した武器

である。また、小さく変形した三節昆もあり、これは、帯上の隠し武器として発

達したものである。

 

6 スルウチン

 スルウチンは、その歴史が古く、石器時代に発達した武器で、当初は獅子や虎

などの動物を退治するために使用されたと云う。これは、スルガーという木の皮

で編んだ縄を石に括りつけ作ったものである。その技法は、振りまわして、まき

つける。あるいは、打ちつけて攻撃する武器である。この武術は、沖縄に古くか

ら伝わるもので、中国武術の『鞭』の影響を受けて完成したものである。また、

中国武術の『流星』等の武器と同じ技法である。スルウチンには、三尺、五尺、

六尺、八尺等の長さがあり、短いものは、投げつけたりして、巻き付け、相手を

倒す武術である。又、世界各地で同種の武器が広く分布している武術である。

  

7 ヌンテイ術

 ヌンテイとは、ヌチデイー(貫手)という意味である。中国の兵法書『武備志』

の中にでてくる『叉武』という名の武器で、明朝の時代のものである。槍と似て

いるが、今からおよそ600年前、中国との交通が開けた時代に伝わった武器とい

われている。このヌンテイは、漁師が魚を取る時にもちいられた物である。また、

この武器は、津堅島で行われていた棒術に類似しており、五尺の棒の先に刃物を

取り付け、また同様な刃物を別に二本腰に差して、あるいは、手に持って、相手

に投げつけたりして使用する武術である。

 

8 鎌術(鎌之手)

 鎌術は、鎌之手と呼ばれているもので、今から約700年前、英祖王の頃、クワ、

ヘラ、鎌などの農器具が鉄製になり、武器も大和(日本本土)や中国からの輸入に

よって、多くの物が沖縄に入ってきたのである。鎌が武器として用いられたのは、

1314年頃、当時の玉城王の悪政に対して諸按司や百姓が立ち上がり、三山(中山、

南山、北山)が分したのである。その時、百姓達が武器の一つとして、使ったのが

始まりである。その後、中国武術との交流により、現在の『鎌之手』の型ができ

たのである。この鎌術は、二本の鎌を両手で持って操作し、あるいは、紐を付け

て使用したり、五尺の棒の先に鎌を付けた長鎌がある。実戦の場では、腰帯の後

に、一本の鎌を隠して、相手に投げたりもする。昔は、鎌之手と聞けば刀剣使い

も争いを避けたとのことで、その効用は抜群である。鎌の刃と柄の角度は、90度

であるが、二丁の鎌の組み合わせが、30度、45度、60度の角度に変化し、手、

足、首胴体の切断にそれぞれの方法を施すことができる。沖縄古武術の中の刃物

武器である。

 

9 鍬術(鍬之手)

 鍬術は、鎌術と同じ様に発達してきた武術で、沖縄古武術の中で鎌と同じ刃物

武器である。農民達が使用した武器で、その技法は、クワの先端の刃先や後の部

分や柄の部分で攻防をし、鍬で土を掘ったものを相手にかけたりする特種な技法

もある。この鍬術も武人の手で研究され、実戦的な武器となったもので、中国武

術の影響を受けて完成したものである。今も福州や上海などでも、この鍬術を使

う武人がいる。

 

10 櫂術(ウエーク手) 津堅赤人之櫂之手

 この武器は、中国上海で行われていた武術を、勝連村にある津堅島の漁師で安

里といい、日焼けしていつも赤い顔をしているので“津堅アカチュウ”の異名が

あった武人が修得し発達した武術である。ウエーク手は、クリ船の櫂を用いたも

ので、漁師が自分の身を守るために、編みだされたもので、刀や槍、棒を持った

敵に対し、ウエークでそれを攻防するという技法である。『波切り』の部分は、

鋭く波切りの個所で打たれたりすると切れてしまう程、威力がある。しかも、砂

掛け(目つぶし)には、もってこいの武器である。その攻防は、ウエークならでは

の特徴を持っている。まさに漁師の刀に匹敵する。

 

11 ティンベー術

 ティンベー術は、中国南派小林拳の流れをくむものである。歴史的には、かな

り古いもので、沖縄では、三山割拠時代には、既に実戦に使用されていた。これ

は、盾(ビンローの木の皮に油を塗って仕上げ、あるいは、竹を編んだものの上か

ら牛の皮をはってある円形のもの)と小刀を持って一組として「ティンベー」と云

う。盾にそれぞれの流派の模様があり、また、敵を威嚇することにも使用された

ものである。

 

12 車棒

 車棒は、麦打ち等に使われたものであり、農民の武器であるその技法は、ヌン

チャクや三節昆等と類似しており兄弟武器である。この武器は、久米村の「三六

九並諸番組」に出てきており、歴史的にも古くから武器として用いられていたも

のである。沖縄古武術の中で、型の中に蹴り技が入っているのは、車棒だけであ

る。


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